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手相占いの判断基準は、手の形、線、模様という要素に分けられます。しかし、実際の手相占いは線や模様はもちろん、手の全体の形、質感や血色、指や爪の発育状況、手を差し出すときの態度までを総合的に判断するものです。
人の手は環境によって、線だけでなく全体が変わります。それらの変化を的確に判断するには、手全体をしっかりと把握しなければなりません。
手相術の起源は、古代インドにおける「ハストリカ」と呼ばれる手の筋と運命の研究であるといわれており、今もインド各地に残る廃墟の壁画や、バラモン教に伝わる口碑などにその面影が残っています。
ヨーロッパでも手相術には古い歴史があります。古代の手相術は、回教徒やユダヤ人によってヨーロッパに広められ、古代ギリシアでは多くの哲学者が手相に感心を持ちました。フランスのラスコー洞窟には2万年前のものと推定される人間の手型が壁に刻まれており、似たような手型が他の先史時代の洞窟でも発見されています。
また、地中海沿岸のユダヤでも、手相術が行われていました。旧約聖書には、名君ソロモン王が手相に関心を示したと書かれています。そのほかにも、聖書には手相に関する記述が多数あり、手という言葉が1000回近くも出てきます。例えば、『ヨブ記』の中には「神は人の手に符号もしくは印章をおきたまえり。これによってすべての人に、彼らの職分を知らしめんがためなり」とあり、『詩篇』には「右手には生命が、左手には富と名誉がある」という記述があります。
中世を迎えローマ教会の勢力が強くなると、教会の教理と一致しない手相学は激しい迫害を受けるようになります。こうして、手相学は知識階級の手を離れ、ジプシーなど遊牧民の手に移っていったのです。そして、卓抜する手相家は名誉と名声を勝ち得ました。
ルネッサンス期になると各種学芸興隆の機運が起こり、ジプシーの手に移った手相術はハートリーブと呼ばれる僧侶によって復興の運動が始まりました。
占いとしての手相術は18〜19世紀に大全盛時代を迎え、フランスに著名な2人の手相学者が現れました。一人はデバロールといい、『手の神秘』と題する書物で掌紋学(キロマンシー)の基礎を築き、もう一人はダルパンチニーと呼ばれるナポレオンに従った陸軍士官で、『手の科学』を著し、手型学(キログノミー)の基礎を築きました。手相術の専門用語はこの頃作られたものが多く、日本でもこの名称が使用されています。
また、19世紀初期にはアイルランド生まれのイギリス人、ルイス・ハモン伯爵という手相鑑定師が、その名も「キロ」という名前で活躍しました。「キロ」とはギリシア語で「手」という意味です。彼の手相術は的中率が高く、大評判となりました。
20世紀に入ると、手相を科学的に研究してみようという学者が表れます。心理学や医学の面から見た手相の研究が活発になりました。特に、第二次世界大戦後、手の外科医療が発達するにつれ、手相の謎を解明してみようという医学者も多くなりました。
日本における手相術は、平安時代に中国や朝鮮を経由して伝来したといわれています。
江戸時代には、水野南北が中国で明の時代に刊行された『神相全編』という手相の文献を参考に、『南北相書』を著しています。実際に日本で庶民に手相というものが普及したのは、江戸時代末期のことです。
大正時代になってからは、西洋手相術も日本へ伝えられ、東洋手相術と並んで実践されました。現代の日本では、西洋手相術がより盛んに行われているようです。
特になし。ただし、鑑定状況によっては、ルーペ、差し棒、懐中電灯などがあると便利。
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